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2007.05.22 Tuesday |  | - | - | - | 

私の願いが引き寄せた!…か??

 ふふふ…ふふふふ。
またもやミラクルが起きちまった。
昨日ウチのお店に、あのっっ!!私の大好きな「てっちん」が来てくれました!!!
おぉ〜〜、こんなミラクルがあっていいのか猫2

って、てっちんが誰か知らない人は、とりあえず私のブログ、読み返してくださいネ。

地元にいるときから、いつかウチに取材に来てくれないかナァ……なんて願いながら、そんな私の夢もとうとうかなわず、てっちんは東京に飛び立ってしまいました。そして『とくダネ!』で大活躍。
その彼がなんと、ウチのお店に今日フラッと来てくれたんです。
第一声は「アイスって、ありませんでしたっけ?」……もしかして、ウチの店を知っててくれた??びっくり
ウチの店は場所柄、アナウンサーさんなどのテレビでおなじみ方が、お客様でいらっしゃることも多いのですが、普段私はどの方にもそういう話は一切しません。しかし、「観てます!」なんて思わず話しかけちゃったのは、後にも先にもてっちんが初めてでした。

うんっ、想像通りステキな人でした。優しさがにじみ出てたみたいな。身長は185cmくらい、マッチョな体は以前よりも引き締まってて、ちょっと日焼けもしてて。バリトンの声もステキでした。
注文していただいた商品を包みながら(うわぁっ、ホンモノのてっちんだぁ!!)と心の中でひとり興奮していました。

そして、清算が終わってお見送りするときに、
「私『いい朝ncc』の時からスゴい好きで観てました!ご活躍されてますね」
てっちんは素直にウレシそうな顔をしてくれました。
「えぇ、今日はあんなこと(長崎市長の事件)があったものだから東京から久しぶりにこっちに帰ってきたんですけど、これからまた東京に戻るとこなんですよ。こういう事件の取材で来るというのは残念です。今度はいいニュースの時にまた帰って来たいですね」
少しお話しただけで、とても深みのある方なんだろうなぁと、とても人間的な魅力を感じました。

「これからも応援してます、頑張ってください!」私とトウチャンは心からてっちんにエールを送りました。そして、わざわざウチの店に寄ってくださったてっちんの後ろ姿に深々とお辞儀をしたのでした。ぴかぴか


2007.04.25 Wednesday | 02:13 | comments(6) | trackbacks(141) | 雑記 | 

告知(2)

 車椅子に座った母はうつむいたまま、何も言わない。
しばらくして、「…先生にあがんふうに言われたら、言うとおりにこの病院入って、治療した方がいいとかな?って気にもなる……」そうは母言った。

 すると兄が切り出した。
「ホントは3日前から僕たち知っとったとよ。それでね、二人でこの3日間いろいろ調べてみてガンは治る病気って確信した。先生は抗ガン剤ば勧めたけど、僕たちはそうは思わん。お母さんの体ば痛めんで治す方法は他にいっぱいある。今、免疫の落ちた状態のお母さんの体に抗ガン剤ば使ったら、たとえガンは小さくなっても、他の健康な細胞までめちゃくちゃにしてしまう。僕たちはガンだけなくせばいいとは思っとらんちゃん。元通りの普通の生活ばさせたかと、お母さんに。そのために必要な治療は僕たちが用意しとる。そいけん、何も心配せんで、僕たちについて来てくれんね?」

まだは母うつむいたままだった。

「お母さんの病気のおかげで、ウチたちいっぱい勉強になったとよ。ウチたちは先生みたいに専門知識も経験もなか。でもね、お母さんば治すための執念だけは、絶対にどがん立派な先生にも負けん。ウチたちがお母さんのガン、必ず治してやる。どうせ命ば預けるなら、他人より身内の方がよかやろう?」出来る限りの明るいトーンで私はそう言った。

そして母ははじめて泣いた。青空の下で母は、顔を両手で覆い、子供のように声を上げて泣いた。
先生の前ではずっとこらえてたんだ、そう思うとよりいっそう母が愛しくなり、泣き止むまでそっとその背中を擦った。
そして言葉に詰まりながら、少しずつ話しだした。
「……お母さん悲しくて泣きよるっちゃないと。…死ぬとはいっちょん恐くないとよ。あんた達が……お母さんのためにそこまで考えてくれとったとかって思ったら、もう感謝の想いで涙のでてくると……」


 母は長年、天のため、ご先祖のため、家族のために生き、深い信仰を持って人生を送ってきた人だ。今私達がこの世で生きていることには意味がある。自分に与えられた試練、課題は乗り越えるために天が下さったもの。それを感謝して昇華することがこの世での人間の務めのひとつである、そうやって母は自分の人生を生きてきた。そして今までも、母には大きな試練を乗り越える決意をしたとき、神がかった享受を受け、その試練を乗り越えたという経験が何度もあった。
 その一方で、母はひとつだけ心に引っ掛かりを持っていた。母の同級生でもあり教会での親友でもあるアイコちゃん(彼女も天のために尽くし、何度も奇跡を経験した人だ)、彼女がいつも母に言う言葉があった。
「あんた、感謝よ!自分の周りのすべてに感謝するとよ、ウチは。人に対しても、仕事に対してもそう、苦労に対してもそう。感謝せんばよ」
「…そうねぇ……」


「アイコちゃんがいつも私に言いよった、『感謝よ、感謝』って。お母さんも、頭ではよう分かっとるとよ。でもその感謝ば心底実感したことの無かった。死ぬまでお母さん、感謝の意味分からんままかもしれんって思いよった。でも今あんた達二人に教えてもらった。感謝の気持ちで涙の出るなんて、お母さん、生まれて初めて知った……。さっきガンって聞いたときはお母さんは天に見捨てられたとかって思った。でもあんた達の言葉ば聞いて、そうじゃなかって分かった。……この身をもって教えてもらったとねって思った、お母さん神様に愛されとったって…」

「そうよ、これはお母さんへの最大の試練よ。でも神様はその人が乗り越えられる大きさのものしか与えんとばい。お母さんは必ず超えきる。お母さんが今までご先祖様のためにどれだけ一生懸命してきたか、神様はちゃんと知っとるとよ。ホントに見捨てられたとなら、交通事故とか心筋梗塞とか、そがんとで何も考えるヒマなくポックリいっとるかもしれんとばい。この病気になったことで、お母さんやウチたちが学ぶことがまだこれからあるはず。今までうちは家族バラバラやったと思う。時間をかけて、自分達の生活環境とか、絆を見直せって教えられとる気のするとさ。……だけん、ウチらと一緒に治そう」
私の言葉に、母はただただうなずいていた。

 母の体と心が万全でない今、これ以上の検査入院に私達は不安を感じた。もしかしたら告知で気持ちが落ち込んだせいで、免疫が落ちたかもしれない。また、CT検査などの放射線を使用した検査を行うと、必ず深い疲労感が訪れて体調を崩すというガン患者の方の話も聞いたことがあった。こんなに落ち込んだ母をたった一人、このハコの中に残して帰ることも嫌だった。確かにこれからどんな治療をするにしても、この検査は必要だとは思うが、今の状態の母にとってはなるべく避けたいと感じた。もう少し体調を整えてから検査に臨みたかった。そこでS先生には申し訳なく思ったが、今日の検査はこれ以上受けないことにした。

 ガン宣告を受けたばかりで、どんな人でもそんなにすぐに気持ちの切り替えはできない。でも、私達に残された時間は限られている。一歩一歩でも、前に進んでいくしかないのだ。まだ戸惑いがちな母を連れて、病院を後にした。
2007.04.25 Wednesday | 02:13 | comments(0) | trackbacks(20) | 家族で挑むガン闘病記 | 

告知(1)

 11月1日、ついに来た。眠れずに迎えた『告知』当日、どぎまぎしてしていたのは、当の本人よりも私と兄の方だった。しかし私たちは、母に不安を抱かせないように、毅然としていた。

 その日の大病院は、平日の早朝というのにエラく混んでいた。母は、左の甲の痛みが昨日よりも悪化し、足首を曲げられなくなっていた。だから病院の待合所まで、私は足を引きずる母を支えながら歩いた。順番が来るまで50分ほど待たされた。その間、私は母の痛む左足をずっとマッサージし続けた。兄はといえば、先にひとりで担当の先生のところに行き、結果を聞いた。そのうえで自分たち家族はこういう治療がしたいという希望を伝え、先生と打ち合わせをしていたようだった。

 そして私たちが診察室に通された。担当は内科のS先生という人だった。S先生はできるだけ穏やかに、兄と打ち合わせた通りに伝えてくれた。レントゲンを見せながら、ゆっくりとした口調で説明を進めた。私たちはそのレントゲンに釘付けになった。

  肺が、真っ白じゃないか……。
両肺全体に白いモヤがかかり、左の肺には大きな、驚くほどまん丸な腫瘍があった。
「この大きな腫瘍はおそらく直径4、5cm程あると思われます。それから左の肺には水も溜まっています。お母さんの今の状態ですと、両方に霧状の無数のガンも見られますから、手術では取りようがありません。放射線治療も向かないように思います」そう言われた。

私は絶望的になりながらも、先生の言葉を一字一句逃さないように、必死でメモを取った。
今この瞬間、母はどんな気持ちで先生の言葉を聞いているのだろうか。
そしてふと私は、告知を受けている母の横顔を見た。呆然となっているまさにその母の横顔を見た。

 …ちくしょう………、ノートがにじんで読めやしない……。
 母のあの顔を見てから、私は自分が今何を書いているのかすら分からなくなっていた。

私と違ってやっぱり母は強い。あの人はこんな時でさえ、他人の前では絶対に泣かないのだから……。ただ呆然としながら、母は「…はい、…はい、…はい」と力なく頷いている。

「息子さんとは先ほどお話をしましたが、ご家族の方は東洋医学のほうで治療をしていきたいと、そうおっしゃってます。私どもは西洋医学の医者ですから、そちらを否定はしませんけれども、西洋医学でのお薦めできる治療もあります。どちらになさるか、ご家族で相談なさってください。ゆっくり時間を取っていただいて結構ですので」

この病院でできる残された治療法といえば、抗ガン剤治療だけだった。最初から受ける気など無かったが、それ以外の治療はしようが無い、そうきっぱりと言われると、その衝撃はかなり大きいものがあった。

「今レントゲンでわかるのは肺ガンだけですが、リンパの腫れも気になりますし、足の痛みも気になります。どんな治療をするにしても他に転移していないか、どこが原発なのかを調べた方がいいと思うんですが、3日ほど検査入院してみませんか?」と、S先生が提案した。
「はぁ…」やはり母は何も考えられない状態だった。
「今日このまま検査入院なさるかどうか、それから今後の治療方針をどうしていくか、ご家族で話し合ってみてください。決まりましたら、またこちらにおいでください」


 診察室を出ると、母はショックと、足の痛みとで歩けなくなってしまった。とりあえずそこにあった車椅子に座らせ、3人で話をする場所を探した。病院の中の空気がなんだかよどんでいるような気がしてならなかったので、私たちは病院の外に出た。やはり選択は正しかった。外の新鮮な空気がとても心地よかった。
私はなるべく母を、このハコの中に長居させたくなかった。
生きる気力さえも奪われるような、そんな気がしたからだ。
そして兄も同じことを感じていた。

こんな人生最悪の日だというのに、今日はなんていい天気なんだろう。
そんなことを思いながら、できるだけ明るい場所を見つけ、車椅子を止めた。
ぽかぽか優しい太陽の下で、私たちは話し合いを始めた。

 
2007.03.19 Monday | 02:08 | comments(0) | trackbacks(10) | 家族で挑むガン闘病記 | 

告知までの3日間(3)

 10月31日、母は背中の痛みだけではなく、左足の甲の痛みも訴える。昨日病院で貰った座薬を一度だけ使うことにした。私としてはなるべく薬で痛みを止めることはしたくなかったが、やむを得なかった。「骨にまで転移しているのではないか?」といやな想像をしてしまった。
だが、1日に何度も「爪もみマッサージ」や「足ツボマッサージ」、「リンパマッサージ」をしていたのが良かったのかは分からないが、病院から貰った座薬は昨日1回、今日1回使ったっきりで、午後からは背中の痛みが全くと言っていいほど無くなった。ただ、足の骨の痛みはずっと続いていた。

 朝から兄と二人で本屋に行き、何か参考になる本を探した。そこで1冊の本に出会った。

     「がんが消えた ―ある自然治癒の記録―   寺山心一翁」
ガンからいろいろなことを学び、自分の力と家族や周りの人々の協力で、ついにはガンを自然消滅させた人の記録だった。

 寺山氏のライフスタイルや感受性のすばらしさ、メンタル面の重要性に感動し、私たちは彼のライフスタイルをできる範囲取り入れてみることにした。
まず感じたのは、病院でのガン治療の無意味さだった。そして抗ガン剤や放射線だけではなく、あらゆる検査さえもガン患者の免疫を低下させていることを知った。今の免疫の低下しきった母の体に対してすべきことは、自然のものでないものを遠ざけ、まず体を温め、免疫を上げること。 
 
 私と兄は明日の告知の前に、『私たちの治療法』を決めることにした。いくらあの強い母でも、宣告を受けたら、きっとひどくショックを受け、何も考えられなくなるだろう。思考能力も無く、先生に言われるままの治療を受けると答えるかもしれない。
そのときに私たちは母の『道しるべ』となってやりたかった。

「お母さんがやるのは『延命治療』じゃないよ、これからももっと私たちと一緒に生きていくんだよ」
私も兄も、その想いを母に伝えたかっただけなのだ。

 安保先生の本を『免疫革命』に始まり何冊か目を通し、100%ではないかもしれないが、やってみる価値はあると感じた。そしてその中の1冊の本の後ろを見ると、安保・福田理論を生かした治療をしている全国の病院が紹介されていた。そこで驚いたのは、九州圏内でわずか数件しか存在していないというのに、その中で、市内に1件、そしてこんな田舎のわが町に2件もあることだった。何かに導かれているかのように思えた。
 そこで、私と兄は大病院の治療はなるべく丁重にお断りし、安保・福田理論に基づいた治療をしている病院に賭けてみようと思った。
そしてその他には、サプリメントも重要だと思い、NW製品でガンを治した例は周りでかなり多く聞いていたので、その中で必要なものを取り寄せることにした。

・マキシモルソリューション(ビタミン、ミネラル、フルボ酸、葉酸などが低分子で細胞に取り込まれる;点滴よりも効率がよい)
・ノニジュース(痛みを緩和させる;ノニは海外の病院では麻酔薬としても使われている)
・リベノール(抗酸化作用)
・パージ(毒出し、虫下し)
・VMM(エキナセア、オタネニンジンなど等を含み、免疫強化)
・D−トクサレート(D−グルカレートで解毒)
・ペリリル(POHでガン細胞にアポトージスを誘導;ガン細胞を自滅に追い込む)
・ミンゴールド(冬虫夏草、シイタケ、レイシなどのβグルカンでリンパ球のT細胞やマクロファージを活性化;直接にガン細胞を攻撃、また免疫UP)
 
 寺山氏の本により、自然から受けるエネルギーのすごさを感じた。なので、彼に倣い、自然に触れること、きれいな空気に浸ること、あと神社参りもやってみたいと考えた。

 食事の面ではマクロビオティック(玄米菜食)を取り入れることにした。主食に玄米、だしはしいたけと昆布、肉や魚をなるべく避け、野菜は地のモノにしぼり、当然有機野菜、砂糖は使わず(やむを得ず使うときは米あめ、甜菜糖、黒糖を少量程度)、味付けは天然塩、無添加の味噌、醤油、お酢……、マクロビになれない私はその味付けやレパートリーの工夫にとても苦労した。母の今の体は陰性体質のようだったから、陽性や中庸で血行を良くするものを摂るようにした。少し学んでみると、その奥深さに非常に関心した。ただ問題だったのは母が玄米を受け付けなかったこと。小豆を入れてもおかゆにしても、5分付きにしても、その独特のにおいに、母はその後も苦戦していた。

 メンタル面では、ストレスをかけずにリラックスさせることを心がける。

 あとは自宅でできるものとして、「爪もみマッサージ」や「足ツボマッサージ」、「リンパマッサージ」を続けることとした。それから、お風呂もなるべく暖まるようにしょうが風呂に挑戦してみることとする。


今の時点で素人の私たちが母に準備できることはこれだけだ。


 明日の告知に向けて、私と兄は戦場に臨むようなそんな緊張感で、結局お互いに一晩中一睡もできないまま、朝を迎えた。
2007.02.24 Saturday | 00:36 | comments(0) | trackbacks(18) | 家族で挑むガン闘病記 | 

皆様、ご心配かけまして…(^^)\

 闘病日記の途中ではありますが、ブログを見てくれている友人のみんなにひと言。

先週は「たけぢらう」から励ましのメールを貰いました。

昨日は「みるきぃ」から心配のデンワ貰いました。

今日は「ERクンと彼女さん」が会いにきてくれました。

ホント、みんなありがとうてれちゃう

でも、みんなのご心配をよそに、今週現在の母はどうしているのかと言えば、
日曜日は、お友達と「吉幾三コンサート」に行き、
昨日はレストランで目の前のビビンバ丼を見て、「全部食べきれるかナァ……?」と言いながら、ウエイトレスさんを呼び止め、「あっ、ミニうどんも付けてください」と追加注文していました。

そんな具合で、母は今日も元気に生きてます猫2
2007.02.22 Thursday | 22:32 | comments(6) | trackbacks(1) | 雑記 | 

告知までの3日間(2)

 そう固く決意したものの、そのわずか1分後、苦痛に顔をゆがめ、横になる母の姿を見るなり、私の決心は無残に崩れ去った。私は子供の頃から泣き虫だ。小さい時によく泣く子は大人になると強くなる、ってよく言われたものだが、私は情けないほどに何も変わってはいない。
「お母さん、大丈夫…?」涙を拭いて、寝ている母にそっと声をかけた。
「……なん、…あんた帰ってきたとね……、わざわざ来んでもよかったとに…」
「うん、お母さん、家のことできんやろ?変わりに私がしようと思って、お義父さんとお義母さんに言うて2,3日休みもらってきた」そう母には言ったものの、本当は義父母からは当分の休みを貰っていた。

『余命3ヶ月』、そう聞いた義父母はきっとこれが最期と思ったのだろう。
『お母さんに悔いの無かごと一生懸命してやりなさい。こっちは何とでもやっていけるとやっけん』そう言ってこころよく送り出してくれた義母に私は心から感謝した。
でも今まで連休も取れなかった私が、何ヶ月も実家に戻ることを知ると、母に逆に不安を与えると思った。だから、そのことについては告知のあと伝えることにした。

「…そうね……、ゴメンね迷惑かけて……」それから母は、昨夜からの症状や病院でのこと、痛みの具合などをぽつりぽつりと時間をかけて話してくれた。
 夏ごろから感じていた腰の痛みと咳、秋になってからはやけに疲れやすく、早めに家事と仕事を終え、家で休む日が多くなったことなど、振り返ってみるともっと早くに異常に気づくべきだった。
「でも何やろう…、肺炎やろうか……」母はまだ自分の病気を知らない。
「お母さん、今体温はどんくらい?」
「今日病院で計ったら35度2分やったよ」
まずい、低体温はあらゆる病気を招くと言われるが、ガンは特に低い体温を好む。これほどまでに母の体温が低いとは思わなかった。通常健康な人の体温は36度5分。まず今できることは、母の体温を健康な人のそれに近づけることだと考えた。
「ちょっと体温の低かごたんね、体温の低かとは病気の元やけん、上げるごと頑張ってみようか」
 母の手足は冷え切っていた。私が最初に始めたのは〔足ツボマッサージ〕だった。これは朝、昼、晩の1日3回行うようにした。足ツボを毎日マッサージすることで、その日の母の体のどこが不調なのか、徐々に分かるようになっていった。いろんな本に目を通していくと、あらゆる原始的に見える治療での効果が以外に早く、高いことを知った。
そして〔爪もみマッサージ〕。これは、免疫治療で薦められている家庭でも簡単にできる方法のひとつだ。手足の爪の付け根の部分を少し強めに10秒ほど押し、しばらく離す。それを何度か繰り返して、他のすべての爪も同じようにする。これを1セットとして、1日に何度も施した。母にも、爪もみくらいはできるだろうから、毎日自分で何度でもやるように言った。
そうして母の体温を1日3回必ず計るようにした。
「あさって病院で結果ば聞くけん、それまでなるべくいろんなことやってみようね」
「でもなんか怖かごたっ。ガンとか言われたらどがんしゅう…」
「まあ、聞いてみらんとわからんけど、結果の分かれば、対処の方法ば考えるだけたい」

 告知までの3日間、私にはやることが山積みだった。兄のところに戻り、これからの治療法について二人で話し合った。私は家から持ち帰ったたくさんの本を出し、1冊1冊簡単に説明し、兄に渡した。
 まず、その中で最初に手にしたのが「免疫革命 安保徹著」。正直、この本と出合ったことは今後の治療に大きく影響した。この後、この本に導かれたかのような出会いが生まれたからだ。そして、そこに書かれた免疫療法は、今後のあらゆる治療のベースとなった。
 次に、細井睦敬医師の本。これは、1年ほど前この方法に近いやり方で末期ガンから回復した、ある学校の先生(Mさん)の話をご本人から聞いたことがあったからだ。そのときの彼はとても未来に希望を持った、きらきらとした顔をしていた。だから、彼のその後についてはすぐに調べる必要があると思った。
正直言って、細井先生の本などは薬事法に触れるという理由で、以前から非難する声もあったのは事実だ。しかし、一方でその方法で回復した方がいるのもまた事実だ。人の噂には惑わされない、自分の手で確認したい。そこで、私の以前からの知り合いで、Mさんを私に紹介してくれたFさんに電話をし、その方の今の病状ややり方を聞くことにした。しかし、彼から話を聞いたのがほぼ1年前。期待もあったが、正直なところ不安も多かった。果たして彼は今も生きているのだろうか?

 やはり、私の不安は的中した。Fさんからの答えは私の期待と外れたものだった。
今年の初夏、彼は残念ながら亡くなっていた。そのことに失望しながらも、私はFさんに掘り下げて聞いた。すると彼は私が驚くことを口にした。Mさんはガンで亡くなったのではないというのだ。ガンが縮小してきていたのは事実だった。そして、Mさんの死因は「腎盂腎炎の悪化による敗血症」だった。
  ……?彼はガンで死んでない……?
私は絶望の中にも、わずかな光を見出そうと必死だった。

「彼は体調が良くなってきたもんだから、調子に乗っちゃって無理しすぎたんだよ。僕もそれを聞いたときはショックでしばらく落ち込んだよ。でもどうしてそんなことを聞くの?」
私は今の母の状況をFさんにすべて話した。Fさんも母のことをよく知る人だったから、大変心配してMさんの取った治療法についていろいろと調べてくれた。
Mさんは3度の手術の後、去年の夏再発、末期の膀胱ガンだった。ちょうどそのころ、Mさんは細井先生の情報を聞き、細井先生に直接電話して、必要なサプリメントの一覧をFAXしてもらったらしい。彼の場合、そのうちの5割程度は同じものを使っていた。
NW製品のマキシモル、ノニジュース、リベノール、VMM、などなど。
「まずは病院の診断結果を聞いて、それから細井先生に連絡してみたら?後で僕が連絡先を調べてメールするよ」
ひとまず細井先生の治療法は保留にして、別の今できる方法を探すことにした。

そして兄は渡した数冊の本を一晩ですべて読み、治療の可能性がまだまだあるということを知った。




 
2007.02.18 Sunday | 21:06 | comments(0) | trackbacks(11) | 家族で挑むガン闘病記 | 

告知までの3日間(1)

 いつもは音楽をたっぷりのボリュームでかけながら走る実家までの道のりも、今日は何も聞く気にならない。私はただひたすら母に会いたい一心でハンドルを握っていた。心を落ち着かせても、不思議と涙というのはただただ溢れてくる。どうせ泣くなら、運転しているひとりだけの時間のほうが思いっきり泣ける。

 帰ると、年老いた祖母と目を腫らした父が力なく座り込んでいる。私は二人の顔を見るなり、「大丈夫って!!治るとよ、ガンはっ!!!」と明るく声をかけた。まるで、自分自身に言い聞かせているようだった。
「んで、お母さんは?」
「まだ病院から帰って来とらん。兄ちゃんが先生から説明ば聞いてくると思うけど、お母さんはまだこのこと知らんけん」
「うん、わかった」

 それから母と兄が病院から帰ってくるまでの2時間ほど、まず、今自分の持ち合わせているだけの知識と本で、私は対策を立てることにした。父は病院の治療以外に道はない、と思い込んでいる。母の辿るべき道は「延命」だけだと。そうじゃない。ガンを治す方法は他にもたくさんある。「母のガンは私が絶対に治す!!」、母のガンを知った瞬間から私はそう決めていた。
 更に私は、本やインターネットを使って情報を集め、あらゆる治療法を探した。兄にも諦めることなく一緒に戦って欲しかったからだ。希望を持って欲しい……家族みんなに。だから、私には落ち込んでいる時間は一時としてなかった。

 そうして兄が帰ってきた。
「今、お母さん家に寝かせてきたけん。会うてやって」兄のこれほどまでに憔悴した顔は、私は今まで見たことがない。
「先生、なんて言わしたと?」私は真っ先に、気になっていることを聞いた。
「肺ガンって。首のリンパも気になるけん、詳しく検査させてくれって言われた。レントゲン、両方(の肺)とも真っ白やった。昨日の夜中、背中に激痛の走ってから、朝までその痛みの続いとって、お母さん一睡もできんやったみたい。朝聞いて、慌てて俺が病院に連れて行ったったい。病院でもね、診察までの待ち時間も座っておりきらんで、ベッドに寝かせてもらいながら待ったとさ。一応痛み止めに座薬入れてもらったけど、それも全然効いとらんごたっもんね。こないだの検査の結果が11月2日に出るけん、そのときはお母さんも一緒に話聞くことになると思う。お母さんは告知の項目に丸つけとったけん、3日後にはお母さんも知ることになる」
「……今も痛かって……?」痛みがある、そう聞いただけで私の胸が痛んだ。
「うん、病院から3日分の座薬貰ってきたけど、強か薬みたいで、6時間おきにしか使えんとって。背中ばさすってやったら、ちょっと和らぐぐらいかな」
「とりあえずお母さんとこ行ってくる。そんで、これからの治療法とかは私にも考えとる方法のあるけん、戻ってきてから話す」
「お前、お母さんの前で泣くなよ、不安にさせるだけやけん」
「うん、わかっとる……」絶対泣かんぞ。何度も呼吸を整えながら、母の元へと向かった。
 
2007.02.10 Saturday | 01:22 | comments(0) | trackbacks(3) | 家族で挑むガン闘病記 | 

長い長い戦いの始まり…

 ある日突然、私は地獄に突き落とされたような衝撃を受けた……、あの日からちょうどリミットの3ヶ月が過ぎたところだ。
 そして、やっと明るい光が見えてきた。

 去年の10月30日早朝、実家の父からの突然の電話。早朝の電話というのは、どうにもいやな予感が付きまとう。12年前にも同じようなことがあったせいかもしれない。

 12年前、当時大学生だった私は東京で生活していた。その日もやはり朝6時に母からの突然の電話。
「どがんしたと??こがん朝早うに…」
「……落ち着いて聞いてね。じいちゃんが今病院に運ばれたとよ。慌てんでよかけん、今日こっちに帰ってこれる?」そういう母の声はとても落ち着いていた。
「慌てんで」なんて言われても、突然のことでパニックになり、私は自分を落ち着かせようと必死だったが、それでも飛行機の中ではずーっと震えと涙が止まらなかった。
 家に着いたとき、じいちゃんはすでにお棺の中で冷たくなっていた。とても優しい顔で眠っているかのようだった。
親戚や近所の方々が大勢集う中、駆け込んだ私は人目もはばからず大声で泣き叫んだ。

 あの時と同じようないやな感覚が直感で私の脳に飛び込んできた。
「なんかあった??」私は、電話口で狼狽しているらしい父に聞いた。
「今兄ちゃんがお母さんば病院に連れて行ったとさ。昨日の晩からお母さん、動ききらんごとなって……。今兄ちゃんから電話のあってね、お母さん、ようない状態のごたっ。先生から『後もって3ヶ月』って言われた……。こっちに帰ってきてくれるや?」電話口から父が泣いているのが分かった。

 母に病院での検査を勧めたのは先週だった。たまにしか実家に帰れなかった私には、母の状態が悪いことなど気づきもしなかった。しかし、一緒に生活している兄にとっては、そのわずかな異変が大きな疑念となっていた。
「お前からもお母さんに検査に行くごと言うてくれんや?兄ちゃんから言うても、ウンウンって聞き流すだけさ。言うても聞かんけん、先に病院予約してしまおうかって思いよるっちゃん……。いやな予感のして、俺ここ2週間ぐらい、夜眠れんでおるとさ」
そんな話を二人でした翌日、私からも母に、病院の検査を受けるようにと念を押し「早速、明日兄ちゃん、病院に予約入れとってね」と母の前で兄に頼んだ。
 そうして翌日の10月27日、やっとのことで母は大きな病院の検査を受けた。結果が分かるのは11月2日だった。しかし、その日を待たずに、母は、またその同じ病院に運ばれてしまった。
事前に検査を受けていたため、母が運ばれた日、すぐに事実が分かった。

  ………末期の肺ガン、余命3ヶ月………

 目の前が真っ暗になるとはこのことだ…。
「とりあえず、今から帰ってくるけん!お父さん、落ち着いてよ」
トウチャン(主人)とお義父さんに事情を話し、すぐに実家に帰ることとなった。ボーっとしながらも、当分の着替えと、治療に生かせそうな持ち合わせの本をかばんに詰め込み、実家まで車を飛ばした。

2007.02.01 Thursday | 22:16 | comments(2) | trackbacks(0) | 家族で挑むガン闘病記 | 

長らくの留守、本当にスイマセン

 ここ3ヶ月ほど、身の回りでいろんなことが起こりまして、勝手ながらブログの更新を控えさせていただいておりました。

 こんな大きなテーマを掲げながら、私はなんて生ぬるい人間だったんだろう……、大切な家族ひとり守れずに……、反省と学び、そして感謝の日々を過ごしていました。

 やっと、私なりの確信を得られた気がして、私がこれまで体験したこと、これから迎える出来事を正直にまた書いていきたいと思うようになり、記念すべき今日という日から、再出発することにしました。

 何も聞かずに待っていてくれた(忘れられとったかなぁ…?)友人にも、本当に感謝しています。

 ありがとう。

2007.02.01 Thursday | 22:14 | comments(1) | trackbacks(0) | 雑記 | 

消費志向の日本人気質

 政治の討論番組は見ていて具合が悪くなるものも多いのですが、しかしながら好んで見てしまう番組もあります。私が一番好きなのは「たかじんのそこまで言って委員会」、次に見ちゃうのが「太田光の私が総理大臣になったら」です。毎週見られるわけではないのですが、時間があるときなどはついつい見てしまいます。
 今日、私は久々に「太田光の私が総理大臣になったら」を見たんですが、
その中でもアレには驚きました……「小泉総理の外遊4回で8億円」!!
何でそんなにかかるんじゃぁ〜!!!びっくり  って思いマスよね、フツー…。
ほとんどの方が批判を示す中、一人の女性がこんな感じのことを言ってました。
「一国の総理が海外に行って、宿泊代をケチってどうするんですか?」
国際派らしい女性だっただけに、そのあまりに古臭い日本的な考えに、大変残念な思いがしました。外国にナメられないために、首相は格式あるリッチなホテルに泊まり、ケチらず見栄を張れ、ということのようです。
 本当に海外ではそのように見られるのでしょうか?

 これはある外国人資産家のお話です。
 私の知り合いの日本人が、出張でヨーロッパを訪れたことがありました。彼は地元の人にはなかなか行けないような高級レストランに私を連れて行き、高価な料理やワインを注文してくれました。それは、その場にいた人数ではとても食べきれないような量でした。
「注文が多すぎますよ」と私が言うと、彼はこう答えました。
「いいんですよ、どうせ出張旅費で会社から出るんですから」
彼がそのようなお金の使い方をしているのを見て、私はいささか悲しい気持ちになりました。優しさからそうしてくれたので、なおさらでした。


 こういうお金の使い方をするのは何も民間だけではなく、行政でも大変多く見られます。こういうことの繰り返しが、今の身動きが取れないほどの日本の借金を生んでいることをいま一度考えるべきでしょう。欧米の企業では、いかに経費を削減できるかで、その社員を優秀な人材と認めるのに対し、日本ではいかに予算を多く組めるかによって、その社員が優秀かどうかが決まるという傾向にあります。

また彼はこうも言っています。
 お金を稼ぐことは、命を得ることと同じです。お金を失うということは、命を失うことと同じです。お金は、国が滅んでも自分が生存するための手段です。
 ヨーロッパの人たちは、このようにお金に対する強い思いを持っています。ヨーロッパは近年まで各国に領土が入り乱れ、長い紛争の歴史を刻んできました。ヨーロッパに住む人にとっては、国家や政府からの資産の保全はつねに課題だったのです。


 世界の歴史上、かつて類を見ないほど多額の借金を抱えながら、未だ破産せずに持ちこたえているという異常事態の中、この国でただのほほんと生活していくことはあまりにも危険です。「お金を持つ目的と意味」を、他国に見習ってしっかりと、一人ひとりが意識しなければならない時期に来てるように思います。

 あなたは何のために、お金儲けをしていますか?
 何のために、毎日働いてお金を稼いでいるのでしょうか?
 「お金儲けのその後」は、何をしたいと思っていますか?
 これはあなたの人生観を問うことになる非常に深遠な問題です。ここがしっかりと固まっていないと、いくら稼いでも不思議とお金が貯まりません。
 お金持ちになったらこれを買いたい、あれをしたい、とばかり言うようでは、結局は消費志向の繰り返しです。こういう人は「お金をたくさん使う人」であって、決して本当のお金持ちにはなれません。
 重要視すべきは、お金が貯まった後が本当の資産管理であるという点です。お金儲けそれ自体が人生の目標なのではなく、投資の準備の最初の一歩であるということです。
 
「自分の運命を国の運命とともにしない真の自由」、こういった思いが私の根底に芽生え、そうして私は海外を視野に入れた投資を始めるようになりました。




2006.10.27 Friday | 21:57 | comments(0) | trackbacks(11) | Rich Dad,Poor Dad | 
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